悪性リンパ腫闘病生活

2017年5月に悪性リンパ腫と診断されました。情報があふれるネット社会、何を信じていいのかわからないのですが、闘病生活を含め、身の回りの事含めて記録していきたいと思っています。

悪性リンパ腫と診断されるまで②

大腸内視鏡を行ったその場で癌と診断され、とてつもなく重い石を背負った感覚の私。

こんなに元気で運動しまくっているのに…。

信じられない気持ちで一杯だった。

一方で、本当に癌ならば早く次の段階に進まなければいけない…とも考え、どの病院で手術するのかも考え始めた。

インターネットで検索してみる。

大腸がんの実績が多く、そして自宅から通院しやすい場所を基準に考えてみた。

夫は、会社内の診療所の先生が勧める病院(医師)にかかるよう言ってきたが、私は私の直観を信じたいと考えた。病院を選択するにあたっては、ちょっと気まずい…というより、腹が立ち口論にもなった。

「自分が逆の立場だったら?この先生にかかりたいと言っているのに、私に他の医者にしろと言われたら頭に来ない??」

こう言ったらさすがに黙っていた。

ただでさえ落ち込み、頭が混乱しているのに、口論することで疲れたくなかった。全くもって無意味な行為。血圧ばかり上がる気がする。

 

こんなやりとりがあって、私は東京都の駒込病院を受診する決意を固めた。

5月20日、診断してくれた医師に、紹介状を書いてもらい、駒込病院は5月25日に行くことにした。

 

ところが、だ。

その紹介状を書いてくれた医師から電話があったのだ。

内視鏡実施時に採取した組織の結果が判明し「悪性リンパ腫」と思われる。

外科の先生宛に紹介状を書いたが、受診しても血液内科に回されるだろう」とのことだった。

2年前、悪性リンパ腫に罹患した父が、治療途中で突然死しした事がフラッシュバックした。

 

遺伝、、、なのか…。私は突然死しないだろうか…。

また、大きな不安に包み込まれた。

自分のキャパシティを超えている。

つらすぎる。

悪性リンパ腫と診断されるまで①

今日から、ブログを始めようと思います。

今年の5月に、突然悪性リンパ腫と診断されてしまいました。

 

診断までの経緯はこんな感じです。

私は、どちらかというと健康オタク的なタイプで、食については極力身体に悪いものは取り入れない主義。

有機野菜を中心に、肉は抗生物質不使用品、お米は玄米…という食生活を送っていました。

また、日々スポーツクラブに通い、余分な脂肪をカットし(但しカットしすぎの側面があった)、成人病にならない体づくりをしていました。

 

今年3月、夫の健康保険組合が推奨している、主婦検診を受けました。毎年受けています。そのときに2日(2回分)提出した、「便」に血液反応が出ていると指摘を受け、即要検査の判定を受けてしまったのです。

ゴールデンウィークに海外旅行を予定していたことと、病院側の都合で、大腸内視鏡は5月18日(木)に行うことに。

大腸内視鏡当日は、自宅で下剤を使用した前措置を行い(以前と比べてずいぶん楽に感じた)、午後から内視鏡を行いました。2年前に受けた大腸内視鏡が、大変苦痛を感じたため、今回は始めから鎮静剤を希望。これが良く効いて楽に受けられたのですが…。

 

今はもう、容赦しないんですね(笑)

検査している時も、終わってからすぐも、単刀直入に「がんと思われます。3cm位ですね」とストレートにがん宣告を受けました。

泣くという感覚は皆無で、ストレートに言われて面くらい、笑ってしまうという変な感覚を覚えました。

「これからどうしますか?」

という先生には、夫と相談してどの病院で治療をするか決めたいことを伝えた。

診断を受けた病院もそこそこの規模ではあるが、頭の中では、症例数の多い大きな病院で治療したいと、すぐに考えていた。

極力、被爆はしたくないし、新しい病院で再検査をするのも二度手間だと判断し、すぐに紹介状を作成してもらうように依頼。2日後、再来予約をとる。

 

会計を終えて、夫に電話し、経緯を伝えてから初めて、少しだけ涙が出てしまいました。

結婚して4年。本当に優しく尊敬する夫。私に、はじめて家族という感覚を教えてくれた夫。本当の愛を教えてくれた夫。

定年を間近に控える夫と、第二の人生を楽しもうと思っていた矢先、突然のがん宣告。

歳が離れているので、私が一人残されるんだろうな…そうなったら悲しいな…なんて考えていたけど、順番が逆じゃない!

シニア域に入る彼に、私の看病をさせるというのか…

なんだか、とてつもない不安が一気に襲ってきた。

 

がん、がん、がん…消えない重石が体の中にある。

重すぎる。